板挟みになってでも、人の役に立つために頑張る心優しい親友へ。

サク
サク

医療従事者になって一年目「もう仕事辞めたい…」と言う友人。ストレス性疾患を患い、久しぶりに会ったときにやせ細ってしまっていた君に届いたらいいなと思って書きました。

心優しく、自分を犠牲にしてでも人の役に立ちたいと言う君には、もっと別の幸せな毎日を送ってほしい。

お笑い芸人の千鳥の大悟さんは言った。

生まれ変わったら、ハエになると思って今を生きている

「自分のやりたいことって何なんだろうか…」

と、わからなくなった時にはこの言葉を思い出すようにしている。


普段、健康に何の問題もない状態で忙しさに追われていると、

自分の人生にタイムリミットはなくて、自分の人生がいつまでも続くものだと思い込んでしまう。

「まだ人生の半分もきていないし」

「人生100年時代だから焦る必要はない」

「将来の幸せのために今は我慢だ」

そんなふうに。

君は長男だから家族の誇りのためだったり、まだ学生の彼女と楽しい休日を過ごすために、平日無理やり起きて仕事を頑張っているのかもしれないね。

嫌なことから逃げてきた僕にとって、社会のために頑張る君は本当に尊敬しているし、無理のない程度に頑張ってほしいと思う。


ふと自分の人生を振り返ってみると、「もうこんな歳になってしまったのか」と感じる時がある。

やりたいことが何かを考えずに、ただ社会の“当たり前”の流れに乗っかって生きていると、おじいちゃんおばあちゃんになった時に、

「もうこんな歳になってしまったんじゃのう…」

「ああ、若いうちにもっとやりたいことをやっていればよかったなぁ…」

と思うんじゃないかな。

最近26歳になった僕たちですら、そんなことを言うこともあるよね。

お金が貯まったらあれしたいな、とか、定年になったらこんなことをしよう、とか。

未来に希望を持つことも大切だし、夢があれば今日もがんばろって思えることもある。

だけど、「今、将来やりたいと思っていること」が「将来の自分がやりたいこと」と同じである保証なんてなくて、

やりたいことがやりたいことじゃなくなるのって、すごくもったいないと僕は思う。

人生に絶対なんてないから、おじいちゃんおばあちゃんになれるかどうかすらわからないんだから。


生まれ変わったら、ハエになると思って生きる。

来世、ハエになるなら、今何をしておきたいだろうか?

人間として生まれてきたからこそできること、やりたいことは何だろうか…。

友達と涙が出るほど大笑いしたり。

楽しい時は歌ったり踊ったり。

人や動物の命の恩人になったり。

この世に無から有を生み出したり。

何千年と先人たちが積み上げてきた学問を学んだり。

愛する人を見つけ、愛し愛されたり。

好きなものを好きなだけ食べたり。

僕には人間だからこそできること、やりたいことはたくさんある。

ハエになってしまったら「来世人間になったら何をやりたいかな?」って考えることすらできなくなってしまう。

それなら、今生きている時に、人間だからこそできることを考えて、悩むこと自体も楽しんでいきたい。


「ああ、若いうちにもっとやりたいことをやっていればよかった」なんて絶対言いたくはない。

人生の中で、やりたいと思った“今”が1番若いんだから、将来の自分から見たら、今の自分は何だってできる。

今、やりたいことをやろうよ。ワクワクすることをしようよ。

重い期待やしがらみ、不安、ストレス、恐れ。世間に揉まれ、それに打ち勝つことも人間として大切なことかなのかもしれない。

本当の自分を押さえ込み、空気を読んで生きることこそが社会に適応するということなのかもしれない。

でも

生まれ変わるとしてまた次も、今と同じように生きたいかな?

“今“の自分は、なりたい自分になるための道を歩んでいるのかな?

そんなふうに何度も立ち止まって、お互い充実した毎日を送って、たまに会ったときには仕事の愚痴じゃなくて、幸せな話ができたらいいな。

僕に農業を教えてくれて人生を変えてくれた親友へ。